L4とL5には人類史上最も巨大な建造物であるスペースコロニーが設営されている。

地球は青かった。そして、そこに神はいなかった。

その言葉が、人類の何者よりも早く宇宙へ飛び立った男によって語られてから、二世紀以上を経た時代。地球に閉塞する人類社会からあぶれた一部の人々は、茫漠と広がる過酷な宇宙を第二の故郷として細々と生きることを余儀なくされた。そして寄る辺無く虚無をさまよう人々も、百年に渡る放浪の末に世代を重ね、独自の文化を育んでいく。繁栄は競争と格差を生み、それがまた新たな火種を点し、人々は争いの歴史を宇宙へも持ち込もうとしていた。

木星に存在するヘリウム3や水素、メタン、水などの資源は、木星衛星軌道上に設けられたマスドライバーによって太陽系各地へ輸出されており、各宇宙居住区の生活基盤を支えていた。このマスドライバー物流網は宇宙生活者の生命線であり、同時に世界経済の大動脈であった。

この木星マスドライバーは公平性や安全性を保つという名目で国連が管理しており、流通の振り分けなどといった重要な意思決定場面においては宇宙定住者は除外されていた。これはつまり全ての宇宙居住区は国連に生殺与奪権を握られていることに他ならず、格差やイデオロギーによる宇宙居住者同士の対立も地球国家の掌の上にあるという事を意味していた。

やがて月にMCUが設立され、火星にも独立行政機関が運営され始めると、当然のことながら木星マスドライバーを占有する地球に対して反発する動きが生まれてくる。特に歴史が長く、なおかつGPDの多く貿易に依存しているMCUは、宇宙社会独立の機運に乗じて独自の軍事組織(MCUAF)を創設し、政体を急速に硬化させていった。

MCU内乱

地球国家対宇宙居住区という単純な二元論ではこの混迷の時代の推移を語る事は出来ない。一言で地球国家と言っても、それはあくまで地理的な括りを示すものであり、地球上の国家が共通した理念を抱いている訳でも意思統一がなされているわけでもない。地球上の勢力の中には、宇宙開発を推し進める欧米に反発する者たちも少なからずいる。特に石油産出国が集うMEAは木星由来のエネルギー資源が普及する事を嫌っており、マスドライバー事業に対し有形無形の圧力を加えていたのである。MEAはヘリウム3メジャーを囲い込む事を断念し、MCUの急進派に対し資金援助や技術提供にて独立の後押し、さらに情報操作で反地球感情を煽る事まで行った。その結果、MCUをはじめとする宇宙居住区では地球への反発から地球排他経済を論じる者まで現れるようになる。すなわち、地球を経済的に閉め出し、宇宙のみで完結する木星通商網を形成しようと言うのである。もちろんこういった世論の流れはMEAが誘導したものであり、木星通商網が完成した暁には、ヘリウム3を手に入れる術を失った地球圏で再び化石燃料が復権を果たすであろうことを彼らは夢見たのである。

ところがMEAの思惑に反し、MCU上層部は国連との対立を望んではいなかった。宇宙居住区の住人はおしなべてエンジニアの末裔であり、政治的に無防備であるという民族性がある。MCUの支配層も例外ではなく、彼らは脆くも国連に籠絡されてしまっていたのだ。MCU上層部は市井で盛り上がる独立運動を鎮めるべくマスコミなどを使って世論操作を試み、戦意を煽るMEAと対立することになった。

結局MEAはMCU支配層の抱き込みを諦め、世論の追い風を受けて行政機構から逸脱しつつあるMCUAFを担ぎ上げる事で独立運動を支援していく事となる。地球からの自立という理想を掲げた木星通商網も、舞台裏から見ればMEAの利権構造を維持する為のダシに過ぎなかったのである。

余談ではあるが、人類全体を支える木星資源と地球上のみに限定した文明をまかなう石油資源のサステナビリティはほぼ等価であり、例え木星通商網がMCUAFら宇宙独立派の望む形で地球から独立したとしても、彼らが大義として掲げる「終わりなき時代」が訪れることはない。

木星通商網のニッチを狙う宇宙造船業界

木星を中心とした宇宙流通ネットワークである木星通商網は、マスドライバーを用いる事で太陽系全土を射程に収めた投射型輸送インフラである。

マスドライバーによる高効率な物流は大型宇宙居住区間における航路の過疎を招いたが、その一方でマスキャッチャー施設を保有できず木星通商網から孤立した僻地では未だに化学推進船舶による輸送が生活を支えていた。

木星通商網の成立により衰退の一途をたどっていた宇宙造船業界は、顧客の対象を大都市の公的機関から孤立地の一般人へ転換し、安価で小型な個人用宇宙船を量販する事で延命を試みた。

このような造船業界の思い切った舵取りの裏側では、地球主導で管理が行われている木星マスドライバーへの危機感を抱いたMCUAFからのテコ入れがあったとも言われている。

なにはともあれ造船業界の打ち立てた「木星通商網を補完する個人用宇宙船の普及」という販売戦略は見事に成功し、マスドライバー物流網と宇宙船舶は棲み分けを成して共存するに至ったのである。